考えを言葉にする教育

海外のいくつかの国で手術室に入らせてもらってきたが、
日本と海外の大きな違いは、その教育スタイルにある。

日本の外科医は「見て盗め」型。
上級医は多くを語らない。
研修医も、見るポジションを奪い合って、
なんとか上級医の技を盗んでやろうと必死だ。
なにか疑問点があっても、下手な質問はできない。
手術終了後、教科書を見直して、あらためて後日、
「先生、こないだの手術の件ですが・・・」
と聞きに行く。

一方、海外の外科医は「ディスカッション」型。
「今、そこを切ったけど、それを切ることのメリットとデメリットは?」
手術中に、こんな質問が上級医からバンバン飛んでくる。
周りで見ている研修医の方からもどんどん質問が上級医に向けられる。
「今取ったのはなんですか?」
そんなの聞いたら日本なら、
「はー、おまえそんなの知らないのか?!」
と怒られそうな質問にも、上級医はしっかり答えてくれる。

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手術室以外の勉強会でも、同じように日本と海外の違いは続く。

日本ではだいたい、ひとり発表者がいて、
スライドをパワーポイントで作ってきて、レクチャー形式。
終わった後、ちらほら質問が出て、発表者が答えて終了。

こっちでは、やはり双方向のやりとりだ。

先日手術した重複尿管についての振り返り勉強会。
通常は1つの腎臓から1本の尿管が出て膀胱につながるが、
その子の左の腎臓から2本の尿管が出ていた。
2本あって問題になるのが、逆流を起こして尿路感染を繰り返すところだ。
抗生剤などで治らないときは、手術の適応になる。

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まずは担当した研修医が症例のプレゼンテーションをする。
ちょっと話すとすぐに上級医から、次から次へと質問が来る。
「尿管2本のうち、どっちを切除するの?」
下の尿管!
「じゃあ重複尿管を起こす有名な病気は?」
Beckwith-Wiedemann症候群!

基礎的なことからかなり高度なことまでいろんな質問が飛んでくる。
でももしひとりが答えられなくても、決して責められることはない。
上級医は答えが出るよういろんなヒントを出してくれるし、
周囲の言いたがりな研修医たちがどんどん答える。
上級医への質問も活発だ。

キーワードは ”Verbalization”
自分の思っていることを言語化し、相手に伝えるということ。
これを海外の医者は、徹底的に鍛えられている。

自分がどんな鑑別診断を頭に浮かべているか、
なぜ手術が必要なのか、
いくつか方法のあるうち、この術式を選んだ根拠はなにか。
手術室で、廊下の立ち話で、あちこちでディスカッションがされている。
専門医の試験でも、口頭諮問が重要視される。

「あいつは黙っているけど、わかっているのだろう」
は通用しない。
発言しなければ、わかっていないのと同じだ。

日本と海外、どちらも良い点悪い点はあるだろうが・・・
教育として健全なのはどっちだろうか?!