シエラレオネの小児外科医
シエラレオネ人の友人に紹介されたのが、
国で唯一の小児外科医だった。
朝8時30分に病院に来てくれと言う。
首都で一番大きい公立病院。
ホテルからの距離は20kmで、普通に行けば30分くらいで着く。
でも朝の渋滞があるから早めに出た方がいいんじゃないの?
「じゃあ安全策をとって、45分前に出よう」
ホテル受付のお兄さんに従って早めに出発した。
タクシーはホテル前の通りから簡単に拾えるという。
でも拾えたのは乗り合いタクシーだけ。
ギュウギュウ詰めに4人乗った後部座席の端っこに、
アジア人がチョコンと座っている。
ものすごい渋滞で全くクルマが進まない。
なんとか病院に着くまでに1時間半もかかっていた。
待ち合わせ場所の会議室にたどり着いたが、朝の会議はとっくに終わっていた。
片っ端の人に話しかけて、回診中の小児外科医Dr Lebbieに出会えた。
ベッドに寝ているのは小さな赤ちゃん。
腹壁破裂と言って、腸がお腹から飛び出た状態で産まれてきた子。
昨夜搬送されてきたらしい。
でも、特になにも処置はされていない様子だ。
「君の国ではこの子は救えるだろうが、ここの国では生き残れないんだよ」
腹壁破裂は、日本を含む先進国では、生存率は9割以上。
でも貧しいアフリカ諸国では、
腹壁破裂の子に必要な栄養療法や感染コントロールができず、
1割程度しか生きられない。
とは言え、助かる見込みは少なくても、マラウィやガーナでは、治療はしていた。
救う努力はしていた。
でもここシエラレオネでは、その努力すらしない。
できない、と言う方が正しい。
手術も何もせず、看取りの方針になることを、
たった今お母さんに伝えたところだったと言う。
今日は週に1日の小児外科の手術日だった。
小児外科医が一人しかいないのなら、さぞかし忙しいんだろうと思ったが、
手術日を週1日しか与えられず、この日の症例も鼡径ヘルニア2件のみ。
麻酔科医が少ないから、満足な手術ができないんだという。
夜間の緊急手術も対応してもらえない。
この小児外科医は、ケニアやケープタウンで研修を積んで、母国に帰ってきた。
知識もスキルもあるのに、手術ができない。
治療が必要な子供たちがいるのに、何もできない。
シエラレオネでは10年もの長い間内戦が続き、2002年に終結したが、
そのあともエボラ出血熱で1万人以上の死者を出した。
内戦とエボラで苦しんだこの国から、医者はどんどん海外に流出した。
そしてまだこの国の立て直しは進んでいない。
外科医はほとんどおらず、脳外科医や心臓外科医は一人もいない。
それじゃ脳出血や大動脈解離が来たらどうするんだ?
「救えないんだよ。諦めるしかないんだ。この国では」
小児外科医のお宅に招いてもらった。
子供たちは3人姉弟。
ちびっ子達と遊んでいたら、高校生の一番上のお姉さんが帰ってきた。
「医学部に行きたいの」
そう話す彼女のまなざしは、一点の曇りもなく、そしてまっすぐだった。
外科手術以前に、医療制度として全く成り立っていないこの国。
この前途多難な国で、子供たちの眼の輝きが、ひとつの希望だ。